大妖怪「九尾の狐」と「殺生石」|栃木県那須高原の伝説と観光ガイド
那須高原の「殺生石」にまつわる九尾の狐伝説は、平安時代末期に起きた不穏な出来事と結びついています。
この物語は、時代の混乱や不安が生んだ神秘的な伝承として、現在でも多くの人々の心を惹きつけています。
以下では、九尾の狐が那須高原に現れるまでの詳細とその後の展開について掘り下げて解説します。
1. 九尾の狐の起源と背景

現代ではアニメやゲームで有名は大妖怪「九尾の狐」。実は元々中国神話に由来する妖怪です。
古代中国では、9本の尾を持つ狐は千年を生きた存在で、変身や幻術に長けた大妖怪として知られていました。
この伝説は平安時代に日本に伝わり、日本独自の物語が生まれました。
日本における九尾の狐の物語

彼女は玉藻前(たまものまえ)という絶世の美女に化け、平安時代の天皇(鳥羽上皇)(1103年~1156年)の側室として宮中に入りました。
玉藻前が現れてから、宮中では謎の病が広がり、鳥羽上皇自身も体調を崩すようになりました。
この異変に疑問を抱いた上皇は、当時の陰陽師である安倍泰成(または安倍晴明の弟子とも言われる)に調査を命じました。
2. 玉藻前の正体と討伐
陰陽師の調査によって、玉藻前の正体が九尾の狐であることが暴かれます。

妖狐が天皇を暗殺し、国を混乱させる計画を立てていたことが明らかに!
正体を暴かれた九尾の狐は、宮中から姿を消し、那須高原に逃げ込みました。

朝廷はこの妖怪を討伐するため、精鋭の兵士と安倍泰成を那須へ派遣しました。
九尾の狐はその圧倒的な妖術で兵士たちを苦しめ、追っ手を何度も退けました。しかし、安倍泰成の強力な呪術と祈祷により、次第に追い詰められていきます。
最終的に九尾の狐は射られ、力尽きました。
3. 殺生石の呪い

九尾の狐の怨霊は「殺生石(せっしょうせき)」という石に宿りました。この石は周囲に毒気を放ち、近づく動物や人間を死に至らせたと伝えられています。
殺生石の伝承
- 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「殺生石周辺の草木が枯れ、生物が近寄れない」という噂が広まりました。
- 室町時代には、殺生石の毒を鎮めるための法要が行われるようになり、僧侶や修験者による祈祷が繰り返されました。
4. 殺生石のその後
時代が下るにつれ、殺生石は観光名所として認識されるようになりましたが、近年でもその神秘性と恐怖は語り継がれています。
現代の殺生石
- 2022年、殺生石が自然に割れる出来事が起きました。このニュースは「九尾の狐が再び解き放たれたのではないか」と注目を集めました。
- 地質学的には硫黄ガスや地熱の影響によるものとされていますが、この出来事により九尾の狐伝説が再び脚光を浴びました。
5. 那須高原の九尾の狐伝説がもたらす教訓
九尾の狐伝説は、「真実は隠し通せない」「悪事は必ず明るみに出る」という教訓を伝えています。また、絶世の美女に化けた九尾の狐の存在は、人々の美しさや権力への盲目さへの警鐘とも解釈できます。
殺生石の観光案内
- アクセス: 栃木県那須郡那須町湯本
- 見どころ:
- 「殺生石」とその周辺の自然散策
- 那須温泉の名湯
- 九尾の狐の絵画や伝承資料を展示する施設
- おすすめの季節: 春から秋にかけての時期が最適。紅葉シーズンも特に美しい。
歴史と神話が交差する那須高原。九尾の狐が残した物語に触れてみてくださいね。