アーサー王伝説|第10章 王妃の処刑と救出劇とランスロットの決断
理想の崩壊が始まるとき
キャメロットに、冷たい鐘の音が鳴り響いた。
それは、王妃グィネヴィアの「火刑」を告げる鐘──
そして、円卓の騎士たちがかつて誓った理想が、音を立てて崩れていく始まりだった。
王妃の密通と、アーサー王の決断
グィネヴィアとランスロットの関係は、もはや隠し通せるものではなかった。
告発したのは、アーサー王の甥モードレッドとその兄弟アグラヴェイン。
ある晩、ふたりは王妃の私室を取り囲み、密会の現場を押さえる。
報を受けたアーサー王は、しばし沈黙したのち、つぶやいた。

「ランスロット……お前は我が最も信頼する騎士であったのに。」
怒りと裏切り、そして哀しみ。
王はそのすべてを押し殺し、法に従って王妃の火刑を命じた。
火刑の日、白馬の騎士現る
処刑の日。
王妃は白衣をまとい、民衆の視線を受けながら火刑台へと歩いた。
王の命を受けた騎士たちが列をなし、その中にはガウェイン卿の弟たち──ガレスとガヘリスもいた。
火が放たれたその瞬間、
空気を裂いて鳴り響く蹄の音。
現れたのは、白馬にまたがるランスロット卿であった。

「王妃に刃を向ける者、容赦はせぬ!」
剣が振るわれ、護衛たちが倒れ、火刑台が砕かれる。
王妃を救い上げ、彼はそのまま城へと退いた──
だがその代償はあまりにも大きい。
ガレスとガヘリス。無抵抗のまま命を落としたのだ。
アーサー王、剣を取る
王妃の救出と、騎士たちの死。
その報を聞いたアーサー王は、もはや情では動かない。

「ランスロットは、円卓の誓いを破った。
そして、我が忠義の騎士たちを……弟を斬った。」
王は大軍を率い、ランスロット討伐の遠征に乗り出す。
その先頭には、復讐に燃えるガウェイン卿の姿があった。
騎士同士の戦い、そしてランスロットの決断
アーサー軍は、ランスロットの籠る城「ジョワヨーズ・ガルデ」へ進軍する。
かつて肩を並べた騎士たちが、いまや敵として剣を交える。
ランスロットは剣を抜くが、もはやその剣には誇りも情熱も宿っていなかった。

「この戦いに、正義はあるのか?かつての主、仲間、愛する人・・・この戦いはなんなのだ・・・。私は何と戦っているのだ。」
心に深く問うた彼は、ついに決断する。
それは、王妃を返還し、争いを終わらせることを──
王妃の選択、ランスロットの祈り
王妃はアーサー王のもとへと帰還する。
だが、すでに心の距離は戻らなかった。
グィネヴィアは自らの意思で修道院に入る。

すべてを静かに受け入れ、
人としての罪、そして王妃としての責務に幕を下ろした。
ランスロットもまた、静かな修道院で祈りの日々を送っていた。
剣を捨て、罪を見つめ、ただ神に赦しを乞うために。
だが、運命は彼を呼び戻す。
「王が死地にある」と聞いたそのとき、
ランスロットは、再び剣を取るのである。
終わりなき夢の終焉へ
この戦は、なくしたものは大きく、得たものは何も無かったのかもしれない。
愛が引き裂いた円卓。
忠義が導いた戦火。
赦しが導いた静けさ。

だが、円卓の裂け目は塞がることなく、王国は危うく揺れていた。
アーサー王のもとには、
まだ血を引く「もうひとりの男」が残されていた──
考察
― 理想が崩れ、絆が裂け、静けさだけが残る ―
【1】三者三様の“正義”が交差した章
この章においては、アーサー王・ランスロット・王妃グィネヴィアのそれぞれが、自身の「正しさ」を信じて行動しています。
- アーサー王の正義:王である以上、法に従わねばならない。愛する王妃であっても、裁かなければ国家の秩序が崩れる。
- ランスロットの正義:愛する者を救うためには、どのような危険を冒してでも剣を取る。
- 王妃の正義:愛を貫いた先にある罪を静かに引き受け、国母としてではなく、ひとりの人間として償いの道を選ぶ。
これらの正義が真っ向から衝突し、もはや“誰が間違っていたか”を語ること自体が無意味になる──それこそがこの章の痛ましさです。
【2】円卓の「道徳的理想」が崩れる転換点
聖杯の章までは、円卓の騎士団は「神聖な理想共同体」でした。
しかしこの章では、それが現実的な人間関係の破綻によって崩壊していきます。
- ガレスとガヘリスの死によってガウェインとの友情が終わり、
- ランスロット討伐の遠征により王と騎士の信頼が断ち切られ、
- 王妃の修道入りとランスロットの隠遁により英雄たちが物語から姿を消す。
まるで、「円卓の空洞化」が段階的に描かれているかのようです。
この章を境に、キャメロットは“理想の都”ではなく、ただの“戦乱の舞台”になっていくのです。
【3】「赦し」と「沈黙」という古典的終着点
興味深いのは、結末が復讐や断罪で締めくくられていない点です。
むしろ、
- 王妃は修道女に、
- ランスロットは隠者に、
それぞれ沈黙と祈りを選びます。
中世騎士文学において、「悔悛して神へ身を捧げる」ことは、もっとも高貴な生の終わりとされます。
つまりこれは、単なる敗北ではなく、神への帰依という精神的昇華の表現なのです。
まとめ:理想の崩壊は、英雄の去就とともに訪れる
この章で明確に示されたのは、理想は信じられる者たちの上にのみ成立するということ。
アーサー王はまだ生きていますが、
王妃も、ランスロットも、もはや彼の傍にはいません。
つまり、「王国」という舞台だけが残され、中身の“魂”は抜けてしまったのです。
この真の喪失感こそが、
続く最終章「モードレッドの反乱とアーサーの死」の切迫感へとつながっていきます。