ヨーロッパの死の妖精 ― バンシー・ルサルカ・死を告げる伝承の正体とは
はじめに
ヨーロッパの民間伝承には、人の死を予兆する妖精や精霊が数多く登場します。彼女たちは恐怖の象徴であると同時に、死者の魂を導く「境界の存在」として畏れ敬われてきました。今回は、代表的な「死の妖精」を各地の伝承からご紹介します。
アイルランドのバンシー(Banshee)

アイルランドを代表する妖精バンシーは、死を告げる泣き女です。
長い髪を振り乱した老女や、白や緑の衣を纏った美しい女性として現れ、夜の静寂を破るように泣き叫びます。その声を聞いた家族に、やがて死が訪れるといわれました。
バンシーは特に古い家系や王族に付き従うとされ、死の訪れを一族に伝える役割を担っていたのです。
スコットランドのビーン・ニーハ(Bean Nighe)

スコットランドのハイランド地方には、川辺で血に染まった衣服を洗う幽霊のような存在、ビーン・ニーハの伝承があります。
彼女が洗っているのは、これから死ぬ人の衣服。戦場に赴く兵士や旅人は、この姿を見て自分の運命を悟ったといわれています。
「洗濯女」というモチーフはケルト文化に広く分布し、運命の不可避性を象徴する存在でもありました。
ドイツ・オーストリアのトーテンヴァイベル(Totenweibchen)

ドイツ語圏には、小柄な老婆の姿をした精霊「トーテンヴァイベル」の伝承があります。
彼女は教会や墓地に現れ、誰かの死の直前に姿を見せるとされました。恐怖の対象であると同時に、死者の魂を導く案内人でもあり、その存在は修道院や教会に伝わる幽霊譚とも結びついています。
スラヴ圏のルサルカ(Rusalka)

スラヴ神話に登場するルサルカは、水辺に住む女性の精霊です。溺死した女性や未婚のまま亡くなった娘が変じるとされ、人を水中に誘い込んで命を奪います。
しかし一方で、春祭りや水辺の豊穣儀礼と結びつき、豊かさをもたらす存在としても語られてきました。死と再生を併せ持つ、二面性のある精霊といえるでしょう。
共通する特徴
ヨーロッパ各地の「死の妖精」にはいくつかの共通点があります。
- 死の予兆を告げる存在であること
- 水辺や墓地といった生と死の境界に現れること
- 女性の姿をとることが多いこと
彼女たちは恐怖の対象でありながら、人間の生死に寄り添い、死者をあの世へと導く役割も担っていました。
おわりに

バンシーやビーン・ニーハ、トーテンヴァイベル、ルサルカといった「死の妖精」は、人々の生活に深く結びついた死生観を反映しています。死を恐れつつも受け入れようとする心の表れでもあるのです。
もし夜の静けさの中で風に混じる泣き声を聞いたなら――もしかすると、それは今も息づく「死の妖精」からの呼び声かもしれません。
参考文献
- Lady Wilde, Ancient Legends, Mystic Charms, and Superstitions of Ireland (1887)
- John Gregorson Campbell, Superstitions of the Highlands and Islands of Scotland (1900)
- Jakob Grimm, Deutsche Mythologie (1835)
- W. R. S. Ralston, Songs of the Russian People (1872)




