雪男伝説の起源 ― 山の神が姿を変えた「白き守護者」の物語
雪男(イエティ)は怪物ではなく、古代ヒマラヤの山岳信仰から生まれた神聖な存在でした。
チベットの精霊信仰、日本の山男伝承、西洋の探検記が交わり、“雪の守護者”として語り継がれたその起源を探ります。
※筆者が雪男の存在を知ったのは、少年アシベという漫画でした。伝わるかなw?
1. 雪男は「恐怖の怪物」ではなかった
人々が「雪男」と呼ぶ存在は、
もともと恐怖や脅威の象徴ではありませんでした。
その起源は、ヒマラヤの山岳信仰にまでさかのぼります。

ヒマラヤの人々にとって、雪山は“神の座”であり、
その山に棲む毛むくじゃらの巨人「メト・カンミ(Metoh-Kangmi)」は、
人々を見守る山の精霊とされていました。
「イエティ(Yeti)」という名も、
チベット語の「イェー=崇高な」「ティ=その者」から来たとも言われます。
つまり、イエティは“崇高なる者”だったのです。
2. 山に宿る霊 ― 仏教以前の信仰
ヒマラヤの信仰は、仏教が伝来するよりも前から存在していました。
そこでは自然そのものに魂が宿るとされ、
特に雪山は「生と死を分かつ境界」と見なされていました。

この世界観の中で、イエティは山の守護神の化身でした。
祈りを捧げる者には道を開き、
欲や怒りに満ちた者には吹雪を与える。
その姿は神と人のあいだに立つ“調停者”だったのです。
3. 西洋探検家たちが見た“雪の人”

19世紀になると、ヒマラヤを訪れた西洋の探検家たちは、
「巨大な足跡」や「二足歩行の影」を報告しました。
新聞はそれを「忌まわしき雪男(Abominable Snowman)」と報じ、
イエティは一躍“恐怖の怪物”として知られるようになります。
しかし、現地の人々にとってその報道は奇妙でした。
彼らにとってイエティは、山を穢さぬために祈る対象であり、
むしろ“神聖な存在”だったのです。
4. 日本の「山男」との共鳴
一方、日本にも古くから似た伝承が存在します。
それが「山男」「山の神」と呼ばれる存在です。

東北や信州の山々では、
- 雪深い夜に旅人を導く白毛の男
- 山を荒らす者に怒りをもって罰する巨人
といった話が語り継がれてきました。
これらは、ヒマラヤの精霊信仰と驚くほど共通しています。
どちらも「山を守る者」であり、「自然の意思を具現化した存在」なのです。
5. 科学が暴いた“正体”と、それでも消えない信仰
近年、雪男の毛とされた標本がDNA解析され、
その多くがクマやヤギのものだと判明しました。
けれども、ヒマラヤやブータンの人々は今もこう言います。
「イエティは山の守り手。姿を見た者は幸運に恵まれる。」
科学が“存在を否定”しても、
信仰が“意味を与え続けている”のです。

それはまるで、
「見えないものを信じる力」そのものが、
人類の古層に刻まれた遺伝子のように思えます。
※そもそも捉えている事象が異なると思います。
6. 終わりに ― 白き守護者は今もそこに
雪男は、人間が“山を恐れ敬っていた時代”の記憶です。
文明が進み、神を忘れたとしても、
雪深い山脈のどこかで、
静かに人の祈りを見つめているのかもしれません。
それは怪物ではなく、
神と自然を結ぶ白き守護者 ― イエティ。










