猿蟹合戦は復讐劇だった|現代版との違いと改変の理由
子どもの頃、誰もが一度は聞いたことのある昔話「猿蟹合戦」。
正直で働き者のカニと、ずる賢いサル。
サルの卑劣な嘘によってカニはひどい目に遭い、最後には仲間たちの力で仕返しをする──。
そうした記憶を持つ人が多いはずです。
しかし、この物語。
かつてはもっと重く、もっと残酷で、そして明確に“復讐”を肯定する話でした。
私たちが知っている「教育向けの優しい昔話」は、実は歴史の中で編集され、形を変えた最新版にすぎません。
では、いったい何が変えられたのでしょうか。
現代版「猿蟹合戦」のあらすじ
まずは現在一般に語られている形を、簡単に整理します。
● あらすじ(現代版)
ある日、サルとカニは道で餅と柿の種を拾います。
サルは「柿の種を植えれば実がなる」と言い、交換を提案。カニはだまされ、柿の種をもらいます。
やがて柿の木は立派に実り、カニはサルに取ってもらおうと頼みます。
しかしサルは熟した柿を独り占めし、固い青柿をカニに投げつけ、カニは大けがを負います。
悲しんだ子ガニは、栗・蜂・臼たちと協力し、サルへの制裁を計画。
栗が火を吹き、蜂が刺し、臼が上から落ちてサルはこらしめられます。

最後には悪いことをしたサルが反省し、めでたしめでたし──。
優しい絵本やアニメでは、
- カニは死なない
- サルは反省して仲直りする
- 仲間の協力が大切、悪いことをすると罰が当たる
といった「道徳的な結末」になっています。
しかし──。
原型に近い昔話の多くは、まったく異なる結末を語っています。
本来の猿蟹合戦:残された古い形
古い資料や民間伝承には、次のような内容が残っています。

● 原型では「カニは死ぬ」
サルが投げつけた柿は致命傷となり、
カニはその場で死んでしまう。
残されたのは、幼い子ガニたち。
彼らは泣き、怒り、悲しみ、そして──
父の死を無念として、復讐を決意します。
● 復讐者は「正義」

仲間として登場するのは、臼・栗・蜂・昆虫など地域により様々。
彼らは子ガニの嘆きを聞き、団結し、サルの居場所を探し、罠を仕掛けます。
最後には容赦なくサルを攻め立て、
場合によってはその命を奪う話形すらあります。
そこに「許し」や「再教育」はありません。
これは単なる残酷描写ではなく、
“仇討ちは正しい”という価値観の反映です。
なぜ昔の物語は復讐を肯定したのか
現代の視点では、「復讐=悪、許し=善」という価値観が一般的です。
しかし、日本社会では長い間、
復讐は正義であり、義務である

という思想が存在していました。
とくに武士社会では、
- 主君の仇討ち
- 家族の名誉のための報復
- 不義への制裁
こうした行動は誇るべきことであり、物語でも英雄として語られました。
赤穂浪士や曽我兄弟の話に見られる通り、「悪を討つ者は称賛される文化」があったのです。
猿蟹合戦も、その延長線上にあります。
物語が変化した理由
では、猿蟹合戦はなぜ今の形に変わったのでしょうか。
その最大の要因は、明治時代の教育政策です。
文明開化とともに、西洋式の道徳教育が広まり、
- 復讐の肯定
- 殺害描写
- 流血表現
- 過度な暴力描写
が子ども向け教材から削除・改変されました。
「悪いことをすれば因果応報がある」
から、
「悪いことをしても、反省すれば赦される社会」
へ書き換えられたのです。
こうして猿蟹合戦は、“復讐譚”から“教訓童話”へと変貌しました。
昔話に“本物”はあるのか?
では、原型の残酷な猿蟹合戦こそ本物なのか?
答えは、必ずしも「はい」ではありません。
昔話とは、
- 語り手
- 時代
- 信仰
- 政治
- 社会制度
によって姿を変える生き物のようなものです。
あるときは復讐を肯定し、
ある時代には許しを尊いと語る。
どちらが正しいというわけではなく、
その時代の価値観に寄り添って形を変えてきた物語
なのです。
おわりに
私たちが知っている「昔話」は、決して昔から変わらない永遠の形ではありません。
猿蟹合戦は、その変化を象徴する物語です。

子ども向けの柔らかい姿と、原型の鋭さや重さ。
その両方を知ることで、
昔話は単なる「読み物」ではなく、
文化・思想・歴史の鏡であることが見えてきます。
そしてそれこそが、
昔話を語り継ぐ意味なのかもしれません。










