鬼から見た桃太郎|昔話を「退治される側」から読み直す
この記事は、桃太郎という昔話を鬼の立場から読み直す試みです。
物語を否定するためではなく、「なぜこの形で語られてきたのか」を考えるためのものです。
海は、境界だった
海は、越えてくるものではなかった。
こちらと、あちらを分ける線だった。

我々は島に住み、季節ごとに畑を耕し、
岩場で獣を追い、
嵐が来れば家を固め、
子が生まれれば名をつけた。
それだけの暮らしだった。
人の国がどこにあり、
どんな掟で動いているのか、
正直なところ、あまり興味はなかった。
海を挟んでいる限り、
互いに踏み込まなければ、それでよかった。
船が見えた日
見張りが叫んだ。
「船だ」
船は珍しくない。
漂着することは、これまでもあった。
だが、その船は違った。

逃げなかった。
迷っていなかった。
まっすぐ、こちらへ向かってきた。
武器を持ち、
旗を掲げ、
数を揃えて。
我々は戸惑った。
交渉の使いも来ない。
警告もない。
ただ、「来る」。
※原作の桃太郎をよく読み返してみると、会話の余地無しで攻撃してきます。
理由は、最後まで分からなかった
なぜ、来たのか。
我々が何を奪ったのか。
誰を傷つけたのか。
何を返せばよかったのか。

誰も、何も言わなかった。
先頭に立つ若い人間は、
迷いのない顔をしていた。
まるで、
最初から答えを知っている者のように。
※桃太郎の物語では、「鬼が都を荒らしている」という情報は伝聞(NEWS)として語られ、鬼側の事情や説明が示されることはありません。
物語の中で流れる情報は人間側からの一方向であり、桃太郎もまた、その前提を疑う選択肢自体を与えられていない存在として描かれています。桃太郎がどうではなく、物語自体が読者の選択肢を奪っているわけです。
戦いは、嵐のようだった

犬が走った。
猿が跳び、
鳥が空から叫んだ。
彼らは統率され、
ためらいがなかった。
こちらが構え直す前に、
家が壊れ、
倉が破られ、
人が倒れた。
我々は抵抗した。
必死に。
だが、向こうは
「勝つ前提」で動いていた。
宝とは、何だったのか

戦いのあと、
彼らは島の奥へ向かった。
宝を集めていた。
金、布、器、
長く使ってきたもの、
代々守ってきたもの。
それらは彼らにとって
「奪うべきもの」だったらしい。
だが我々にとっては、
暮らしそのものだった。
鬼とは、誰だったのか
彼らは我々を
「鬼」と呼んだ。
それが悪を意味する言葉だとは、
あとから知った。
こちらは名を名乗る暇もなかった。

ただ、
倒され、
縛られ、
連れて行かれた。
物語の中では、
きっと我々は
「最初から悪だった」のだろう。
海の向こうへ去ったあと
船が去ったあと、
島は静かになった。

泣く声も、
怒鳴り声も、
やがて消えた。
残ったのは、
壊れた家と、
戻らない者たちと、
理由だけが分からないままの時間だった。
解説①:鬼はなぜ「理由を知らされない」のか

鬼視点で描くと、
もっとも不気味なのはこれです。
なぜ攻められたのか、最後まで分からない
これは物語上の欠落ではありません。
むしろ、昔話の構造そのものです。
昔話では、
- 正義の側には「理由」が与えられる
- 倒される側には「説明」が与えられない
鬼は
「悪だから倒された」のではなく、
倒すために悪にされた存在なのです。
解説②:桃太郎は“英雄”ではなく“災害”になる

鬼の側から見ると、桃太郎はこう見えます。
- 交渉しない
- 理由を語らない
- 迷わず来る
- 勝つ前提で動く
これは英雄というより、
理解不能な外敵
意味を説明しない災害
に近い。
重要なのは、
桃太郎自身が「悪意」を持っていない点です。
彼は
「正しいと信じている」
だからこそ、止まらない。
解説③:「宝」とは、誰の視点の言葉か
桃太郎の物語では、
鬼が持っていたものは「奪われた宝」です。
しかし鬼の側から見れば、
- 生活の道具
- 長く守ってきた物
- 暮らしの積み重ね
でしかありません。
ここで分かるのは、
宝とは、勝者がそう呼んだ瞬間に宝になる
という事実です。
言葉が変われば、意味も変わる。
昔話は、その最たる例です。
漫画ワンピースの登場人物「ドフラミンゴ」が言った言葉が刺さります。
「正義は勝つって!?そりゃあそうだろ・・・勝者だけが正義だ!!!」
解説④:鬼とは「悪」ではなく「役割」
民俗学的に見ると、鬼は
- 異族
- 境界の民
- 中央から排除された存在
を象徴することが多い。

つまり鬼は、
最初から「悪」だったのではなく、
物語を成立させるために必要な役
だったとも言えます。
英雄譚には、
必ず「倒される存在」が必要なのです。
解説⑤:それでも桃太郎は、否定されない
ここは大事な点です。

この読み直しは、
- 桃太郎を悪者にする話ではありません
- 正義を否定する話でもありません
ただ、
正義は、必ず誰かの沈黙の上に立つ
という事実を、
一度だけ可視化しているだけです。
なぜ、昔話を今読み直すのか
昔話は
子どものための物語であると同時に、
- 社会が何を「正しい」としたか
- 誰が語り、誰が語られなかったか
をそのまま残した記録でもあります。
鬼視点の桃太郎は、
現代に向けた「新しい主張」ではなく、
ずっと語られていなかった側の沈黙
を、そっと置いてみる試みです。
おわりに

桃太郎の物語は、
これからも英雄譚として語られるでしょう。
それでいいのです。
ただ、もし物語を閉じる前に、
ほんの一瞬だけ振り返る余地があるなら。
「鬼は、なぜ鬼になったのか」
そう問いかけることも、
物語を大切にする一つの形かもしれません。










