学校の七不思議はいつから?起源と広まりを年表でやさしく解説

学校で語られる「七不思議」は、江戸時代に広まった“七つにまとめて語る”怪談フォーマットを下敷きに、近現代の学校文化とメディアの影響で全国に定着したと考えられます。

昭和の噂(赤マント、花子さん、1978–79年の口裂け女など)が下地となり、1990年代に児童書や映画のヒットで一気に一般化しました。

1) 「七不思議」という“型”の誕生

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日本各地には、地域にまつわる不可思議を“七つ”に整えて伝える文化があり、江戸時代には「本所七不思議」などが広く知られるようになります。七という数は覚えやすさや物語のまとまりを生み、のちの学校版にも流れ込みました。

2) 学校に“怪談フォーマット”が入ってくるまで

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20世紀前半には、学校やトイレを舞台とする噂が各地で記録されます。

昭和初期の赤マント系の噂に加え、戦後には「トイレの花子さん」に連なる初期記録(便所・“三番目”といったモチーフ)が語り継がれました。

これらが“学校という日常空間にも怪異が潜む”という感覚を育て、学校怪談を構成していきます。

3) 1970年代末:口裂け女の全国騒動

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1978年末から1979年にかけての「口裂け女」は、新聞やテレビ、口コミが連動して全国に拡散しました。

通学路や下校時に話題が集中し、学校という場と“うわさ”の親和性を社会に強く印象づけました。のちの“学校の七不思議”が受け入れられる素地がさらに広がった時期です。

4) 1990年代:児童書と映画で“定番化”

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1990年代初頭には「学校の七不思議」を冠する児童書シリーズが刊行され、典型的なラインナップ(音楽室の肖像画、夜中に鳴るピアノ、人体模型、十三階段、二宮金次郎像、プールの霊、トイレの怪など)が全国で共有されます。1995年公開の映画『学校の怪談』のヒットは、学校怪談を夏の定番へと押し上げました。

5) なぜ“七つ”なのか —— 数の演出効果

昔話や都市伝説では、数字が物語の“手触り”を調整する装置として機能すると論じられます。

“七”は完全でも無限でもない“ちょうどよさ”をもたらし、網羅感や境界の感覚(七つ全部知ると不幸、八つ目で回避など)を演出します。

学校怪談でも、こうした数にまつわるメタ設定がしばしば付与されます。

6) ざっくり年表

  • 江戸時代:「七不思議」型が各地で流行(例:本所七不思議)。
  • 昭和初期:赤マント系の噂が流行。
  • 戦後〜1960年代:「花子さん」に通じる学校トイレ怪談の記録が指摘されます。
  • 1978–79年:口裂け女が全国的に騒動化。
  • 1992年:「学校の七不思議」を冠した児童書が刊行。
  • 1995年:映画『学校の怪談』公開、学校怪談ブームが一般化。

7) まとめ

学校の七不思議は、江戸期の“七つ仕立て”という語りの型を背景に、昭和以降の学校文化と平成のメディア環境の中で“学校版テンプレート”として固まりました。

現在も地域や学校ごとに中身は入れ替わり続けています。学校の七不思議は、世代ごとの恐怖や関心を映し出しているといえますね。


参考(出典)

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