カンタンに分かる歴史:戦国時代の始まり|なぜ日本は乱世へ?応仁の乱と下剋上をわかりやすく解説
今日は、「戦国時代ってどうして始まったの?」っていうお話をします。
「戦国時代」といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康……かっこいい武将がたくさんいるけど、そもそもなんで日本中が戦いだらけになっちゃったのか、知ってますか?
今日はその「はじまり」を、わかりやすくお話ししていきますね。
足利将軍家のゴタゴタ(1467年)
むかしむかし、室町時代(1336年~1573年)の日本には、**足利義政(あしかが よしまさ)**という将軍がいました。
彼は**室町幕府(むろまちばくふ)**の8代目将軍だったんだけど……ちょっとね、お仕事より趣味が大事なタイプだったの。

「政治?そんなことよりお茶をたしなむ時間が大事」
なんて感じで、美しいものを愛することに夢中だった。
でもね、将軍がのんびりしてると、大事な問題が起こってしまう。
「次の将軍、誰にする?」
この問題に対して、息子がいなかった義政さまは自分の弟、**足利義視(あしかが よしみ)**を後継者にすることにしたんだけど……
しばらくして、奥さんの日野富子(ひの とみこ)が男の子を産んでしまったの!
すると義政さま、「やっぱり息子を将軍にしようかな~」って気が変わってしまったのね。これでね、弟派と息子派がバチバチに対立しちゃった・・・。
応仁の乱(1467年~1477年)、はじまる!
でね、ここで終わらないのが室町時代の怖いところ。
ただの家族のゴタゴタだったはずが、武将たちがそれぞれ「じゃあワシが次の時代を作るぞ!」って名乗り始めちゃったの。
特に、**細川勝元(ほそかわ かつもと)と山名宗全(やまな そうぜん)っていう2人の大名が大げんか!京都の町は戦の炎に包まれて……これが、歴史に残る「応仁の乱(おうにんのらん)」**よ。
みんな、ちょっと想像してみて?
京都のあちこちで戦いが続いて、家が燃えたり、人々が逃げ惑ったり……。
しかも、この戦い、10年以上も続いたの!

「勝ったのはどっち?」って?
……それがね、どっちも勝たなかった。
10年も戦い続けた結果、幕府の力はガタガタに弱くなって、**「幕府なんてもう頼りにならない!」**って空気になっちゃったの。
こうして、日本中が「自分の力で生き残るしかない!」って時代になっていくのよ。
下剋上(げこくじょう)のはじまり(1490年代~)
ここから、「下剋上(げこくじょう)」の時代が始まるの。
「身分が低くても、強い者が上に立つ」っていう考え方ね。

たとえば、
- 農民から大名になった斎藤道三(さいとう どうさん)
- 「戦で勝ち続ければ、天下人になれる!」と信じた織田信長(おだ のぶなが)
こういう人たちがどんどん出てきて、「戦が強ければ、天下を取れる!」っていう時代になっていくの。
力こそが正義のような時代が来てしまった・・・。ある意味で、夢のある時代といえるかもだけど。死生観が今と違うから結構悲惨なのよね。
つまり、戦国時代は「応仁の乱」で幕府が弱くなったことがきっかけで始まったの。
これから、もっともっとすごい武将たちが登場して、戦国の世界はさらに激しくなっていくわよ……!
おわりに
さあ、ここから日本は「戦国時代」へと突入していくわけだけど……
この乱世を終わらせるのは、いったい誰でしょうか。
次回は、**「戦国大名たちの登場!」**についてお話しします!
まとめ!
- 1467年 → 将軍家の跡継ぎ争いが原因で「応仁の乱」が起こる!
- 10年以上の戦い → 京都はボロボロ、幕府は弱体化
- 下剋上の時代に突入! → 「強い者が勝つ!」の精神が広まる
- 戦国時代の幕開け!