秋の神話|動かぬ神・久延毘古(くえびこ)― 案山子に宿る知恵と稔りの力
古事記にも登場する案山子の神・久延毘古(くえびこ)。動けぬ身でありながら、世界のすべてを知るといわれるこの神は、秋の稔りを見守る田の神でもありました。案山子に宿る神聖な知恵の伝承をひもときます。
秋の神話 ― 動かぬ神・久延毘古(くえびこ)
むかしむかし――
秋風が稲穂を渡るころ、ひとりの神が田んぼの真ん中に立っていました。
その名を**久延毘古(くえびこ)**といいます。

彼は案山子の姿をしていました。
風に吹かれ、雨に打たれながらも、決して動くことはありません。
しかしその瞳は、遠い山々の動きも、雲の流れも、人の心までも見通していたといいます。
「足は動かねど、天下のことを知る。」
古事記にはそう書かれています。
久延毘古は、動かずしてすべてを知る神。
その知恵は、田の稔りを見守り、自然の変化を読み取る“農の叡智”でもありました。
案山子は神の依代(よりしろ)
秋、村人たちは稲の実りに感謝し、案山子を立てて田を守りました。
鳥を追うためではなく、神の霊(たま)を迎えるためです。

春には山から田の神が下り、
秋には再び山へと帰っていく――。
案山子はその間、
**田の神の依代(宿り処)**として、人と自然をつなぐ役目を果たしていたのです。
そして収穫が終わると、案山子は火にくべられました。
燃え上がる炎は、神を山へ送り返す“祈りの炎”。
その煙が空へ昇るとき、久延毘古もまた天に帰っていったと伝えられています。
動かぬ者が世界を知る理由
久延毘古の物語は、
「動かずとも、深く見つめれば真理が見える」
という教えを含んでいます。
人は動き、働き、求める中で多くを得ます。
しかし一方で――
**じっと立ち、世界を見つめることもまた“知恵”**なのです。

現代の忙しい日々の中で、案山子のように
「動かず、ただ見守る」時間を持つこと。
それが、古代の人々が伝えた“知恵の神の教え”なのかもしれません。
終わりに
秋風が吹くたび、田に立つ案山子は静かに首を傾けます。
それは、稲穂の波の向こうにいる“神”を見ているのかもしれません。
人と自然のあいだで、今日も変わらず――。
「久延毘古は、動かずして世界を見通す。」
案山子は、今もどこかの田で微笑んでいるのです。





