藤原成通と蹴鞠|火事場にも飛び込んだ平安貴族の情熱とは?
平安時代、貴族たちのたしなみとして「蹴鞠(けまり)」は高い人気を誇っていました。
その中でもひときわ名を残すのが、**藤原成通(ふじわらのなりみち)**という人物です。
蹴鞠を愛し、蹴鞠に生き、時にはその情熱が周囲を呆れさせるほどだった――
今回は、そんな成通と蹴鞠にまつわる逸話をご紹介します。
藤原成通とは何者か?
藤原成通は、平安時代後期の公卿で、藤原道長の曾孫にあたります。
高貴な家柄に生まれ、学問や政務よりも芸道(げいどう)や遊びごとを好んだことで知られます。

特に、蹴鞠への情熱は異常ともいえるほどで、記録によると――
「雨の日も風の日も、朝な夕なに鞠を蹴り続けた」
「左大臣でありながら、政務よりも鞠の予定を優先した」
といった逸話が『大鏡』『今鏡』に記されています。
鞠を追って火事場へ飛び込んだ
もっとも有名な逸話が、「火事場に蹴鞠が飛び込んでも、成通は追いかけた」という話です。
ある日、成通が友人たちと蹴鞠を楽しんでいたところ、不運にも鞠が燃え上がる屋敷の中に転がり込んでしまいました。
周囲は「危ないからやめろ!」と制止しますが、成通はこう言い残したと伝えられています。

「あれはただの鞠ではない。私の魂そのものだ」
そして彼は、火の中へ鞠を拾いに行き、幸いにも無事だったといいます。
・・・これはすごい話しですかねw?
なぜそこまで蹴鞠にこだわったのか?
当時の蹴鞠は単なる遊びではなく、儀礼・教養・芸道のひとつとされていました。
円形の輪になって、リズムよく蹴り続けるその姿は、まるで雅楽の舞のようであり、貴族の洗練された美意識の象徴でもあったのです。

藤原成通にとって蹴鞠は、「人としての理想を体現する場」であり、美の追求・礼の実践・精神統一の手段だったのかもしれません。
蹴鞠を通して伝わる平安の心
現代の感覚では、政務を放棄してまで鞠を追いかける姿は、やや滑稽にも映ります。
しかし、そこには「何か一つのことを極めようとする情熱」が確かにありました。
藤原成通の生涯は、平安貴族の美意識・価値観・没頭の極致を私たちに伝えてくれます。
おわりに
蹴鞠という優雅な遊びに命を懸けた男――藤原成通。
彼の逸話は、今もなお京都・奈良の蹴鞠神事の背景に息づいています。

もしあなたが蹴鞠の儀式を見る機会があれば、その背景にこんな人物がいたことを思い出してみてください。
鞠に込められた“気品と情熱”は、1000年の時を超えて、今も静かに回り続けているのです。
ところで、蹴鞠のルールはご存じですか?
ルールってあったんですか?
蹴鞠のルール
蹴鞠(けまり)には独自のルールや作法がしっかり存在します。
ただし、サッカーのような「勝敗を競うルール」ではなく、**美しく蹴り続けることを目的とした“芸道的なルール”**です。
🔹 基本ルールと目的
▶ 目的:
- 鞠(まり)を地面に落とさずに蹴り続けること
- 技の巧拙や回数ではなく、優雅さ・礼節・所作の美しさが重視されます
🔹 主なルール(形式)
項目 | 内容 |
---|---|
参加人数 | 4〜8人(通常は6人程度) |
フィールド | 正方形(約6〜10m四方)・砂を敷き、四隅に木を立てる「鞠庭(まりにわ)」 |
隊形 | プレイヤーは輪になって配置され、順番に蹴る |
鞠 | 鹿の皮で作った中空のボール(直径約20cm、120g前後) |
装束 | 「鞠装束(まりしょうぞく)」と呼ばれる直衣(のうし)や狩衣(かりぎぬ)を着用。烏帽子をかぶることが多い |
蹴り方 | 片足で蹴る。つま先を上に向けて、真上に鞠を返すのが理想とされる |
🔹 禁止事項・マナー
- 力まかせに蹴らない(優雅さが第一)
- 地面に落とさないように工夫するが、落ちても怒らない
- 失敗しても笑わない、咎めない
- 会話や声掛けは和やかに、和を乱さないことが重要
🔹 特有の掛け声
蹴鞠では、プレイヤー同士が互いに声をかけあいます。
- 鞠が上がったとき:「アリ(在り)」
- ナイスプレイに対して:「ヤア」など
※これはプレイを円滑にし、呼吸を合わせる儀礼的なやりとりです。
🔹 蹴鞠の勝敗は?
ありません。
- 競技ではなく芸
- 「美しく、続ける」ことが最大の目的
- 成功回数や時間を競うことはない
✅ まとめ:蹴鞠は“美と和のスポーツ”
特徴 | 内容 |
---|---|
目的 | 鞠を落とさずに美しく蹴り続ける |
精神 | 礼儀・調和・連携を重んじる |
文化的意義 | 神事・儀式・貴族の教養として尊ばれた |
勝敗のないスポーツなんですね!素晴らしい!